朝、アクセス解析を開いた
目覚ましより少し早く目が覚めた朝、布団の中でスマホを手に取って、まずやったことがある。
ブログのアクセス解析を開くことだった。
昨夜、遅くまでかけて書いた記事がある。タイトルも三回考え直したし、見出しも整えて、「これは我ながらいい」と思って公開ボタンを押した。
その結果を、寝ぼけ眼で確認する。
PV:1
一瞬、「お、1人読んでくれた」と思った。
でも、すぐに気づいた。
この1は、たぶん、私だ。
「自分だけ」の正体
公開した直後に、ちゃんと表示されているか確認した。誤字がないか、画像が崩れていないかも見た。
もう一度見て、さらにスマホからも開いた。
アクセス解析の設定で自分のアクセスを除外していなかったので、全部カウントされていたのだと思う。つまり、あの『1』は、読者ではなく、私が自分の記事を心配して何度も確認した足跡だった。
なんだか、玄関先で誰も来ない客を待って、ずっとドアスコープを覗いていた自分を、後ろから見ているような気持ちになった。
落ち込むかと思ったけど
もっと落ち込むかと思った。
でも、意外にも最初に出てきた感情は、悲しみではなく「そりゃそうだよな」という納得だった。
考えてみれば当たり前の話だ。
- 開設して間もないブログに、まだ誰も来る理由がない
- 検索に引っかかるほどの時間もたっていない
- SNSで告知もしていない
誰にも知られていない場所に、誰かが訪れることはない。道に迷った人が偶然入ってくる路地裏の店にも、せめて看板は必要だ。
PVが1だったのは、記事が悪かったからではなく、まだ「誰にも見つけてもらえる状態になっていない」というだけのことだった。
最初の読者は、いつも自分
ここで、ちょっと見方を変えてみた。
この1人の読者は、少なくとも、その記事を一番真剣に、最後まで読んでくれた人だ。誤字を探し、言い回しを直し、「ここ、もっとこう書けたな」と考えてくれた。
世界でたった一人の、いちばん厳しくて、いちばん熱心な読者。
そう思うと、この『自分だけ』のPVも、少しだけ愛おしく見えてくる。
ネットで稼ぎたいと思って始めた雑記ブログは、最初の数か月、ほとんど誰にも読まれないのが普通だと聞く。その間に「やっぱり向いてないのかも」と思ってやめてしまう人も多いらしい。
だからこそ、PVが1の朝は、続けられるかどうかを試されている朝なのかもしれない。
PVが少ない朝にやったこと
とはいえ、ただ落ち込んで終わるのももったいない。そこで、その朝にやったことを書き残しておく。
1. 自分のアクセスを除外した
まず、アクセス解析で自分のアクセスが数字に混ざらないように設定した。数字が正しくなければ、増えても減っても、何が起きているのか分からないからだ。
2. 「1」を記録した
スクリーンショットを撮って、日付と一緒に残した。
数字がゼロや1の時期の記録は、あとから振り返ると、意外なほど価値がある。伸びてから見返せば「ここから始まったんだな」と思えるし、伸びなくても、続けた証拠にはなる。
3. 記事を一つだけ、読み直した
昨夜の記事を、今度は読者の目で読み直した。タイトルは何の話か伝わるか。最初の三行で続きを読みたくなるか。
直す部分が見つかったら、それは次の記事の力になる。
4. コーヒーを淹れた
これは大事。PVが1でも、朝のコーヒーの味は変わらない。
数字は、まだ何も語っていない
PVが1の朝に気づいたのは、数字は「結果」ではなく「現在地」だということだった。
今の現在地が『自分だけ』でも、それは、ゴールがそこだという意味ではない。スタート地点に立っているだけのことだ。
ネットで稼ぎたいという気持ちは、とても現実的で、まっすぐな願いだと思う。その願いを叶えるための最初の一歩が、たった一人の読者から始まるのは、むしろ自然なことなのかもしれない。
まとめ
- PV『自分だけ』は、失敗ではなくスタート地点
- 自分のアクセスは除外設定をして、正しい数字を見る
- 数字が少ない時期の記録は、あとで宝物になる
- 最初の読者は自分。その目を信じて、少しずつ磨いていく
今朝のPVは、1だった。
でも、その1が、私に「書き続けるかどうか」を静かに問いかけてくれた。
とりあえず、今日もブログを開く。それだけで、昨日とは少し違う一日が始まる気がしている。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
PR
コータのAmazonページへ
コータのAIイラスト、Xページへ
コータのユーチューブページへ
よろしければ、
のぞいてみてください